夏の甲子園で準優勝した「松坂世代」が抱く思い 「同じ思いをしてほしくない」

2019-01-25 07:20 「Full-Count」篠崎有理枝
埼玉西武のアカデミーコーチを務める吉見太一さん※写真提供:Full-Count(写真提供:埼玉西武ライオンズ)

埼玉西武のアカデミーコーチを務める吉見太一さん※写真提供:Full-Count(写真提供:埼玉西武ライオンズ)

1998年夏の甲子園決勝で横浜に敗れた吉見太一さんはアカデミーコーチとして活躍

 2018年シーズン、チーム2番目の勝利数となる6勝を挙げ復活を果たした中日の松坂大輔投手。「平成の怪物」と呼ばれた右腕は、横浜高3年時の1998年夏の甲子園決勝でノーヒットノーランを達成し、その名を全国に轟かせた。この時の対戦相手、京都成章高で正捕手として出場していた吉見太一さんは現在、埼玉西武ライオンズのアカデミーコーチとして子供たちの指導にあたっている。あれから20年以上がたった今、吉見さんは当時を「全く実感がなく、夢のようだった」と振り返る。

「自分の高校はそんなに強くなかったので、甲子園に行けるとも思っていませんでした。だから決勝は不思議な感覚でした。当時のチームメートともよく話をするのですが、みんな本当に実感がなかった。決勝前日、テレビのニュースに映った甲子園球場の対戦カードの看板を見て『明日本当に横浜高校とやるんだ』と思いました。大輔と対戦しても、別世界の人という感覚で、試合のこともほとんど覚えていないんです」

 センバツでも優勝し、この大会の準々決勝では、延長17回完投勝利を収めるなど、圧倒的なピッチングを見せていた松坂を打つことはできないと思っていたため、ノーヒットノーランを喫しても、悔しいという気持ちもなかった。だが、その後プロで活躍する松坂を見て「いつか同じ舞台に立ちたい」という気持ちが強くなった。そして立命館大、社会人のサンワード貿易(2005年に廃部)を経て、2005年の大学生・社会人ドラフト3巡目で埼玉西武ライオンズに入団。念願のプロ入りを果たしたが、松坂と同じ舞台に立てたことで満足してしまったと後悔をにじませる。

「甲子園の準優勝より、プロに入ったときのほうが現実的で嬉しかったですね。たまたま大輔と同じチームに入って、キャンプでボールを捕った時『こんなことあるんだな』と感動しました。それと同時に、そこで満足してしまった自分がいました。キャッチャーはやることが多い。体力も必要なのに、守る練習しかしませんでした。『活躍してやるんだ』という強い気持ちがなかった。1日1日を無事に過ごそうとしか考えていませんでした。もっと練習しておけばよかったと、本当に後悔しています」

一生懸命に取り組まない子供にも厳しく指導「自分がそうだったのですぐにわかります」

 1軍での出場は2010年の6試合に留まり、この年のオフに戦力外通告を受けた。引退後はブルペン捕手としてチームに残ったが、プロに入ったことで満足している選手と、そうでない選手はすぐにわかった。それは今、子供たちを見ていてもわかるという。吉見さんは、自分と同じ思いをしてほしくないという気持ちから、一生懸命に取り組まない子供には厳しく注意をしている。

「プロに入ったことで満足している選手は、自分がそうだったのですぐにわかります。目つきも違うし、言動も違う。やることも違います。それは子供も同じです。一生懸命やらないんだったら、一生懸命やっている子がかわいそうだから外れてもらっています。何事も一生懸命にやる。それが一番大事だと思っています」

 小学校1年生から、中学校3年生までの指導にあたっているが、子供たちとどのように接し、どんな表現で伝えればいいのかを勉強する日々だ。そして、技術の上達だけではなく、上手くいかない選手に手を差し伸べてあげることができる選手になってもらいたいと願っている。それは、共に戦う仲間がいることの素晴らしさを知ってほしいからだ。

「ノーヒットノーランを喫しましたが、あの時、甲子園で同じ経験をした仲間がいる。それは一生の思い出です。子供たちにも、野球を通じてそんな仲間を見つけてほくしいです。そして、まだ前例はありませんが、アカデミーの中からライオンズに入団する選手が出てきてくれたら嬉しいですね」

 松坂が復活を遂げた一方で、BCリーグの栃木でプレーしていた村田修一内野手(現・巨人ファーム打撃兼内野守備コーチ)、巨人の杉内俊哉投手(現・巨人ファーム投手コーチ)など、平成最後の年に「松坂世代」が次々にユニフォームを脱ぐ決断をし、新たな一歩を踏み出した。平成の名勝負を演じた吉見さんもまた、次の世代に野球の楽しさを伝えるという使命を胸に、新たな人生を歩んでいる。

(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)