今季は鈴木大地が大活躍。過去の「スーパーユーティリティ」たちを振り返る

2019-07-19 11:00 「パ・リーグ インサイト」望月遼太

マリーンズ・鈴木の大活躍をマルチアングルで

特定のポジションに固定されずとも、レギュラーとして出場を続けるという概念

 「スーパーユーティリティ」という言葉をご存知だろうか。特定のポジションに固定されず、複数のポジションをこなしながらレギュラーとして出場する選手のことを指す言葉で、現在のMLBにはベン・ゾブリスト選手(カブス)、マーウィン・ゴンザレス選手(ツインズ)、クリス・テイラー選手やエンリケ・ヘルナンデス選手(共にドジャース)といった、内外野を兼務しながら打撃でもチームに貢献する選手が少なからず存在している。

 NPBにおいてこういった役割を担った選手は決して多くなかったが、今シーズンは千葉ロッテの鈴木大地選手が複数のポジションで躍動を見せている。鈴木選手は2016年までは遊撃手、2017年は二塁手、2018年は三塁手とポジションを移りながら定位置を確保し、2013年からの6シーズンで欠場したのは1試合のみと主力として不動の地位を築いていた。

 しかし、2018年オフにブランドン・レアード選手が加入したことで状況は大きく変化することに。本塁打王獲得経験もある大砲の加入で三塁争いは一気に熾烈となった上、内野の残り3つのポジションも既に埋まっている状況だった。鈴木選手もオープン戦で打率.310を記録してアピールしたが、開幕スタメンの座を勝ち取ったのはレアード選手。この試合でライバルが決勝の逆転3ランを放ってヒーローになった一方で、鈴木選手には最後まで出場機会が訪れなかった。

 しかし、鈴木選手はこの苦境にもめげることなく、複数ポジションに対応するための準備と鍛錬を重ねた。すると、開幕から「4番・一塁」として起用されていた井上晴哉選手が極度の不振に陥ったことで、新たに一塁手として出場する機会が増加。その後は中村奨吾選手の負傷に伴い二塁手を務めたり、井上選手の復調と角中勝也選手の離脱を受けて交流戦からは左翼手としても出場したりと、必要に応じてチームの穴を埋める活躍を披露している。

 今季は一塁、二塁、三塁、遊撃、外野の全てで守備機会を記録し、6月18日の広島戦では慣れない左翼の守備でホームラン性の打球を好捕。打撃面でも本塁打は既に自己最多の数字を記録しており、他の部門でもキャリアハイを更新する勢い。まさに「スーパーユーティリティ」と呼ぶに相応しい活躍を続けている。

 数こそ多くはないものの、過去には今季の鈴木選手のように複数のポジションをこなしながら、シーズンを通して主力として活躍した選手がNPBにも存在してきた。そこで、今回は5年以上前に同一シーズン中に内外野にまたがって複数ポジションを兼任しながら活躍した、懐かしの選手たちを紹介していきたい。

真弓明信氏(元太平洋・クラウン・阪神)

 真弓氏は内野手として、1972年のドラフト3位で太平洋クラブライオンズ(現・埼玉西武)に入団。1977年から2年連続で116試合以上に出場するなどライオンズの主力に定着しつつあったが、1978年オフに「世紀のトレード」の一つとされる大型トレードによって阪神に移籍。新天地でも打力に優れた遊撃手として4シーズンにわたって躍動を続けていたが、移籍5年目の1983年に見せた大活躍はまさに出色と言えるものだった。

 この年は遊撃手のレギュラーとして開幕を迎えたが、時には右翼や中堅、一塁での先発出場も経験。後半戦に入ってからは二塁手としての出場が大半となる目まぐるしいシーズンだったが、守備位置の変遷が打撃に影響することはなく、打率.353、23本塁打、77打点と素晴らしい打撃成績を残して、自身唯一の打撃タイトルとなる首位打者にも輝いている。

 翌年はほぼ二塁手に固定されていたが、1985年に右翼手へとコンバート。ほぼ年間を通じて「1番・ライト」として出場し、打率.322、34本塁打、84打点と猛打を振るった。クリーンアップに匹敵する長打力を持つ「恐怖の一番打者」としてチームの日本一にも大きく貢献し、ランディ・バース氏、掛布雅之氏、岡田彰布氏らと共に、リーグ屈指の強打者として一時代を築いた。

五十嵐章人氏(元千葉ロッテ・オリックス・近鉄)

 1990年にロッテオリオンズ(現・千葉ロッテ)でプロのキャリアをスタートさせた五十嵐氏は、球史に残るユーティリティプレーヤーとも形容できる存在だ。プロ入り1年目の1991年は外野手として先発出場を重ねたが、97試合で打率.281と活躍した1994年には二遊間でのスタメン起用が大半に。1995年には内野の全ポジションで先発出場を経験して101試合に出場し、本職がいなくなる緊急事態を受けて捕手を務めた試合もあった。

 1996年には一塁、遊撃、左翼、右翼と内外野の4ポジションでスタメン出場し、キャリア最多の114試合に出場して打率.271と奮闘した。1998年にオリックスに移籍してからもその万能性は変わらず、同年には一塁、二塁、三塁、左翼、右翼の5つの守備位置で先発出場。2000年には捕手と中堅手以外の6ポジションで先発出場を果たしただけでなく、大差で負けていた試合で投手としても登板。1イニングを無失点に抑え、NPB史上2人目となる全ポジション出場という偉業を成し遂げた。

 類まれなユーティリティ性を誇った五十嵐氏は、全ポジション出場に加えてもう一つの快挙も記録している。近鉄時代の2002年に「8番・セカンド」として起用された試合で本塁打を放ち、全打順での本塁打を達成。シーズン最多が4本、通算26本塁打で達成という数字は、いずれも達成者11人の中で最少の数字。どのポジションにも対応できる生粋の職人は、ここ一番での勝負強さも兼ね備えた稀有な存在でもあった。

森野将彦氏(元中日)

 森野氏は2010年に3番打者として22本塁打、84打点、打率.327、OPS.936と大活躍してリーグ優勝に貢献するなど、主力打者として2000年代中盤から2010年代初頭にかけての中日黄金期を支える存在だった。安定感と長打力を兼ね備えた打撃もさることながら、状況に応じて様々なポジションに対応する高いユーティリティ性でもチームに貢献していた。

 1997年のプロ入り時は遊撃手だったが、2006年には主に三塁手を務めてリーグ優勝に貢献。2007年は左翼手のレギュラーとして開幕を迎えたものの、5月下旬からは二塁手や三塁手としてのスタメン出場が増えていく。福留孝介選手の離脱後は右翼手としての出場も増加し、時には中堅を守る試合も。打撃でも主に5番打者として打率.294、18本塁打、97打点と勝負強さを見せ、攻守に存在感を発揮してチームの日本一にも貢献を果たした。

 翌2008年は主に中堅手としてスタメン出場しながら、試合終盤は守備固めとして三塁に移るケースも多く、引き続きマルチな才能を発揮していた。2009年からは三塁手に専念していたが、2013年には一塁手や二塁手としての先発機会が増加し、久々にマルチな才能を発揮していた。通算1581安打を放った打撃もさることながら、現役生活を通じてバッテリーを除く7つのポジションを経験した守備面での活躍も特筆ものだった。