野球を心から楽しめた。元東京ヤクルト中島彰吾が解く海外のプロ野球事情

2019-07-22 08:00 「パ・リーグ インサイト」東海林諒平
デ・フラスコニンフ・ツインズ時代の中島彰吾氏(C)PLM

デ・フラスコニンフ・ツインズ時代の中島彰吾氏(C)PLM

 横浜DeNAでプレーし、昨年まで福岡ソフトバンクに在籍していた吉村裕基選手が、今季はオランダリーグに挑戦。さらに、元横浜DeNAの久保康友選手はメキシコリーグで第二の野球人生を歩んでいるなど、海外のプロ野球リーグへの移籍という選択肢を選ぶ流れが、近年顕著になってきているように思われる。

 特に、アメリカや台湾、韓国といった国ではなく、今までルートのなかった国に関しては、移籍の瞬間は話題になるものの、その後を追った報道はあまりされていない。今回は、2014年の育成ドラフト1位で東京ヤクルトに入団し、オランダのデ・フラスコニンフ・ツインズ(以下ツインズ)、オーストラリアのシドニー・ブルーソックス(以下ブルーソックス)でプレーした中島彰吾氏に、海外のプロ野球リーグでの経験について語ってもらった。海外野球を肌で感じた男の野球人生に触れながら、オランダの野球事情について紹介したい。

(C)PLM

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野球をやりに行くだけ。オランダ挑戦のきっかけは国内トライアウト

 海外野球に触れたきっかけは、国内のトライアウトですね。海外でトライアウト事業を行っている方からスカウトを受け、台湾のトライアウトを受験しに行きました。メジャーリーグやヨーロッパリーグなど、多くのスカウトが視察に来ている中で、台湾のアマチュアや社会人、プロの選手たちと3週間ほどプレーして。そこでオランダリーグのツインズの目に止まり、契約させてもらいました。

 私のエージェントをしてくれていた方が、オランダのチーム関係者とつながっていたり、ツインズは日本人選手が欲しかったりと、タイミングも良かったので、話を聞いて挑戦を決めました。どこであっても野球をやりに行くだけなので、現地での生活とか言葉の心配はなかったです。

チームの環境に見るオランダ野球のレベル

 ツインズは、試合が週に3回、練習が1回ありました。チームによって多少違うかもしれませんが、チームメイトは平日働いているので試合も練習も少なめです。リーグには結構格差があって、上位1,2チームは、野球だけで生きていくチームでした。チームだけでなく国からもお給料を貰っている選手もいて、40,50万とかそれなりに稼いでいましたね。お給料を貰いながら野球ができている選手もいれば、働きながらであったり、学習するためにチームに所属している選手もいたり様々でした。日本で言う「プロ野球」ではなくて、年齢、学歴関係なく、多くの人たちが集まってチームが成り立っていました。

 オランダは、車で2時間程度で回れる小さな国なので、試合の時はすべて車で移動していました。車もバス移動ではなく、現地集合現地解散。みなさん仕事があるので、自分の時間で試合に間に合うように各々向かうって感じです。それこそ試合ギリギリに到着する方もいるので、うちのチームは個人でアップをして試合に臨んでいました。本当にのんびりしてますよね(笑)

 僕の所属していたツインズは、元々は下位のチームだったのですが、僕が入った年に初めて上位に食い込んでプレーオフにも進出しました。僕が入団する前に上園啓史氏(元楽天)が在籍していて、その頃にチームの強化方針が定まったみたいです。日本人選手を取ると、プレーの面はもちろん、集客、興行的にも効果があるのかな。事業の一環として、野球以外の部分でも日本企業と関わっていたり、オーナーが日本のことを好きというのも関係してるかもしれません(笑)

 リーグ全体で見れば、もちろんNPBには敵わないし、人数的にもアマチュアのようなもので、レベルは低い位置にあると思います。それでも個々のレベルが高く、オランダ代表になるような選手も少なからずいます。上位のチームには、NPBの1.5軍クラスの選手が結構居ますね。全体で8チームある中でも、首位のキュラソー・ネプチューンズはすごく強くて、単純なパワーとかであればNPBの一軍クラスと言っても過言ではないと思います。その反面、下位のチームになると独立リーグやアマチュアレベルの選手が多いので、同リーグでも格差は大きかったです。

地域の方々との交流も(C)PLM

地域の方々との交流も(C)PLM

 現地の生活で苦労したことはなかったですね。3日くらいで慣れちゃいました(笑)街に何があるのか把握して、電車の乗り方さえ覚えてしまえば困ることはなかったです。オランダでは英語が通じるので、チームメイトが私と話すときはオランダ語ではなく英語で話してくれるんです。最初は全く話すこともできなかったんですけど、ルームメイトが毎日1時間くらい英語を教えてくれたので、普通に暮らせるようになりました。

 試合や練習は午後からだったので、午前中は買い物に行ったり、ジムに行ったり。ジムも自分で探して個人で契約してました。あとは、料理が趣味なのでルームメイトとごはん作ったり(笑)のんびりした国で景色も空気もきれいなので、散歩に行ったり、ドライブしたりもしてました。

ツインズ退団後は「ツテ」をたどってオーストラリアへ

 海外野球って日本と比べてツテによるアドバンテージが大きいんです。それをどれだけ持っているかによって、次のチームに行けるかどうかは決まってきますね。私の場合は、知り合いの人がブルーソックスの監督さんと仲が良くて、そのツテでした。どういう選手かというPRを動画で送ったりもします。自分のプレーを撮影して送ることは、海外だと結構多いですね。それでチームが興味を持ってくれれば、オファーしてくれるので、自己アピールするような人も多いです。

 海外野球は、契約もすんなり決まります。日本は球団へ行って契約書にサインをする形ですけど、海外の場合は契約書を携帯に送ってくれるんです。選手に直接会うことは少なく、Facebookとかで連絡を取り合って契約が決まったりもしますね(笑)

野球に対してよりオープンに。海外経験で得た新たな人生観と引退の理由

 海外では本当に色々考えましたね。日本の野球ってビジネス的な要素が強いじゃないですか。強ければ強いところほどお金を稼げる分、厳しい世界で。野球本来を楽しむっていうよりは、結果に追われ、そこに楽しみを求めてしまう。海外に行ってからは、結果や周りの目、コーチがこう監督がこうって追われることなく、自分がこうしたいからこうやるんだと、本当の意味で楽しく野球をやれました。純粋に成長したいというか、野球をする一人間としてすごい楽しめている。野球に対しての考え方がオープンになったし、生きている実感が湧きました。

 引退の理由は、自分の限界を感じたからです。最後にMLB挑戦しようと思って、アメリカのトライアウトを受けました。メキシコかメジャーリーグからお誘いがあったらプレーしようと考えていたけれど、どちらからもオファーがなかったんです。そこから年齢や肉体的にも、自分がプロとしてもう一度活躍する姿が想像できなくなって。他国からのオファーや、アマチュアからのオファーはあったんですけど、自分がそこに行ってもう1年もう2年野球して、何が残るか考えたときに何も残らない気がしたんですよね。もちろん野球するのは楽しいですけど、早めに別の道へ進んだほうが絶対に良いと思ったんです。野球にしがみついている自分が実はダサいというか。そう考えたときに新しい道で第2の人生として歩みだしたほうが人生って面白いのかなと思って。イチローさんが引退すると同時におれも野球やめようみたいな感じです(笑)

大学日本代表でオランダへ来た辰己涼介選手と中島彰吾氏(C)PLM

大学日本代表でオランダへ来た辰己涼介選手と中島彰吾氏(C)PLM

中島彰吾(なかじま・しょうご)投手
福岡大学から2014年育成ドラフト1位で東京ヤクルトに入団。プロ2年目の2016年5月2日に支配下登録をされ、一軍のマウンドも経験したが、思うような結果は残すことができず、2017年10月3日に戦力外通告を受けた。その後はオランダの、デ・フラスコニンフ・ツインズ、オーストラリアのシドニー・ブルーソックスでプレーし、2019年に現役を引退した。

NPB通算:5試合0勝0敗 7.2回 5奪三振、防御率10.57

文・東海林諒平