大車輪の活躍を見せる平井克典。稲尾、久保田、浅尾らとの登板ペースの差は?

2019-08-01 12:00 「パ・リーグ インサイト」望月遼太
浅尾拓也氏(2011年)

7月末時点:42試合 3勝2敗21ホールド24HP4セーブ 44.1回 54奪三振 防御率0.61
年間成績:79試合 7勝2敗45ホールド52HP10セーブ 87.1回 100奪三振 防御率0.41
タイトル:最優秀中継ぎ、セ・リーグMVP、ゴールデングラブ賞(投手部門)

 中継ぎ投手としてはNPB史上初となるリーグMVPとゴールデングラブ賞を受賞した、2011年の浅尾氏の投球はまさに圧倒的だった。この時期は統一球の影響でリーグ全体の打撃成績が大きく低下していたが、その中でも浅尾投手の投球内容は卓越していた。快速球と高速フォークで並みいる強打者たちをねじ伏せ、年間15四球という数字が示す通り制球力も抜群だった。

 浅尾氏はセーブ数が示す通りに時折試合を締めくくる場面も挟みつつ、年間を通してリリーフ陣の大黒柱としてフル稼働を続けた。前半戦を終えた段階で42試合に登板して防御率は0点台と、まさに絶対的な存在として君臨。NPB史上最多のシーズン47ホールドを記録した前年(2010年)を上回る投球内容を見せ、当時のチームが見せていた「守り勝つ野球」の中心を担った。

 浅尾氏の快進撃は後半戦に入ってもとどまることはなく、8月に14試合で11ホールド、9月に14試合で10ホールド(13HP)と、ハイペースで数字を積み重ねていった。年間で記録した自責点は4、8月以降は自責点わずかに1と、シーズンを通して驚異的な安定感を保ち続け、チームの最大10ゲーム差をひっくり返しての大逆転優勝の立役者の一人となった。

稲尾和久氏(1961年)

7月末時点:43試合 23勝6敗 223回 189奪三振 防御率1.65
年間成績:78試合 42勝14敗 404回 353奪三振 防御率1.69
タイトル:最多勝、最優秀防御率、最高勝率、ベストナイン(投手部門)

 現在、ライオンズのシーズン最多登板記録を保持しているのが、埼玉西武の永久欠番「24」をかつて背負った稲尾氏だ。先述の3人はいずれもリリーフ投手だったが、稲尾氏は投球回が示す通り、先発として長いイニングを投げていた点で異彩を放っている。プロ入りからの8年間で524試合に登板し、2765イニングを消化。「神様、仏様、稲尾様」と称された1958年の日本シリーズでの4連投4連勝は、今なお伝説として語り継がれている。

 そんな稲尾氏にとってもキャリアハイとなったのが1961年のシーズンだ。投手分業制が確立されていなかった時代とあって、先発30試合、リリーフ48試合と両方の役割に対応しながら、現在では考えられないペースでイニングを消化。前半戦を終えた段階で223回を投げて23勝6敗と、現代ならばそこでシーズンを終えてもMVP級の成績を残していたが、その後も稲尾投手はエースとして圧巻の投球を重ねていく。

 最終的には78試合に登板して投球イニングは400回を突破し、防御率も1.69と驚異的な数字を記録。このシーズンに記録した年間42勝は、1939年のヴィクトル・スタルヒン氏と並んでNPB史上最高記録であり、投手分業制が確立された現代野球においてこの記録が今後破られる可能性は極めて低い。事実上のアンタッチャブルレコードを打ち立てた、まさに球史に残る1年だった。

年間を通してフル回転を続けた投手たちのその後の成績は……

 平井投手の7月末で53試合という登板数は、久保田氏の55試合、藤川投手の54試合に匹敵する数字となっている。この2名がシーズン登板数の1位と2位であることを考えれば、平井投手はまさに記録的なペースで登板を重ねているとも言えそうだ。

 年間を通してフル稼働した投手が翌年以降に成績を落としてしまうことは、プロ野球の世界では決して珍しくない。実際、先述した稲尾氏、久保田氏、浅尾氏の3名は、いずれも故障で投手としての寿命を縮めてしまっている。しかし、藤川投手はその後も長年リリーフ投手として活躍を続け、米球界挑戦やケガからの復活を経て、現在も阪神の救援陣を支える存在となっている。

 はたして平井投手は、疲れの見えてくる終盤戦を乗り切ってキャリアハイのシーズンを送ることができるか。そして、勤続疲労が心配される来季以降も、継続して活躍を続けることができるだろうか。稲尾氏が持つ球団記録の更新も見えてきた新時代の鉄腕が今後も元気に投げ続けてくれることを、多くのファンが願っていることだろう。