今季はディクソンが活躍。先発からクローザーに転向したパの投手達を振り返る

2019-08-20 18:00 「パ・リーグ インサイト」望月遼太

【9回表】チームは連勝!! バファローズ・ディクソンが最後を締めて13セーブ目!! 2019/8/16 B-M

先発からクローザーへの配置転換は過去にも少なからず存在

 オリックスのブランドン・ディクソン投手は、プロとしてのキャリアの大半を先発投手として過ごしてきた存在だった。米マイナーでは174試合中141試合が先発登板で、日本でも昨年までの139試合中リリーフ登板は1度だけという数字が、その裏付けとなっている。

 しかし、今季に入ってからそのキャリアは新境地を迎えることになる。開幕からケガで出遅れると、チーム事情もあって6月にリリーフとして一軍に合流。すると、同時期にクローザーの増井浩俊投手が深刻な不振に陥って二軍での再調整に向かったことを受けて、ほどなくして経験豊富な助っ人右腕が新守護神の大役を任されることになった。

 昨年までは打たせて取る投球を持ち味とし、球界屈指のグラウンドボールピッチャーとして知られていたディクソン投手。しかし、今季はここまで26イニングで32奪三振と投球回を上回る数の三振を奪っており、投球内容にも少なからず変化が見られる。成績も27試合で14セーブ、防御率2.42と安定しており、チームの窮地を救う活躍を見せている。

 先発としての実績は豊富とはいえ、リリーフ投手としてはほぼ未知数だったディクソン投手の配置転換は、チームにとっても大きな賭けだったことだろう。頼れる助っ人は新たな持ち場で首脳陣の期待に応えてみせたが、先発から抑えに回って活躍を見せ、守護神不在の非常事態を解決した投手たちは過去にも少なからず存在してきた。

 そこで、今回は2000年以降のパ・リーグにおいて、1年と数カ月以上にわたって先発を務めてからクローザーとして活躍した投手たちを紹介。ディクソン投手と同様の道筋を辿った先人たちの経歴を、あらためて振り返っていきたい。

豊田清氏(元・西武、巨人、広島)

通算成績:558試合 66勝50敗81ホールド157セーブ 992.1回 859奪三振 防御率2.99

 豊田氏は1997年と1999年にそれぞれ10勝を記録するなど、先発投手としても1990年代後期の西武(現・埼玉西武)において存在感を発揮していた。しかし、当時のファンの記憶により強く残っているのは、2001年にクローザーに転向してからの姿になるだろう。この年に47試合で28セーブ、防御率2.83で守護神の座を手中に収めると、翌年以降はさらなる進化を見せ、まさに圧巻と言える投球を続けていく。

 2002年は57試合で防御率0.78という驚異的な安定感を見せ、当時のパ・リーグ記録である38セーブを達成。翌年も58試合で防御率1.24と変わらぬ活躍で、前年と同じ38セーブを記録。2年連続で最優秀救援投手のタイトルにも輝いた。翌年は腰痛の影響で34試合の登板、11セーブにとどまったものの、防御率0.98と安定感は変わらず。2度のリーグ優勝と1度の日本一にも大きく貢献し、球界屈指の抑え投手として君臨した。

 2006年に巨人に移籍してからは主に中継ぎとして活躍し、2007年からのリーグ3連覇にもリリーフ陣の主力として寄与。38歳で迎えた2009年には46試合で防御率1.99、広島に移籍して迎えた現役最終年となる40歳のシーズンにも32試合に登板して防御率3.08と、大ベテランの域に達しても衰えぬ実力を見せ付けていた。

薮田安彦氏(元・千葉ロッテ)

【始球式】勝利の方程式「YFK」による“継投”始球式!! 2015/5/30 M-DB

通算成績:520試合 48勝72敗112ホールド67セーブ 1009.1回 710奪三振 防御率3.81

 薮田氏はプロ2年目の1997年に先発として規定投球回に到達し、勝敗こそ5勝9敗ながら防御率3.94と一定の活躍を見せた。しかし、その後はローテーション定着を果たすことができず、長期にわたって伸び悩むことに。そんな中で、プロ9年目の2004年に本格的にリリーフへと転向したことが、薮田氏にとっては大きな転機となる。

 この年に薮田氏は66試合で77回1/3を投げ抜いて防御率2.79と安定した投球を見せ、リリーフ陣の主力としての地位を確かなものとすると、続く2005年には藤田宗一氏、小林雅英氏と「YFK」と呼ばれた強力な勝ちパターンを形成。チームにとって31年ぶりとなる日本一の一助となり、2006年からは2年連続で2点台の防御率を記録。2007年には38ホールドポイントで最優秀中継ぎのタイトルに輝き、快速球とフォークを武器にブルペンを支え続けた。

 2008年からの2年間はMLBに活躍の場を移したが、2010年に古巣・千葉ロッテに復帰すると、63試合で28ホールド、防御率3.15とかつてと同様の安定感で、同年の「史上最大の下克上」と呼ばれた日本一にもリリーフ陣の軸として貢献した。翌2011年には小林宏之氏の退団を受けてクローザーとなり、53試合で31セーブ、防御率1.75と大活躍。続く2012年にも61試合で26セーブを挙げ、抑えとしても確かな存在感を発揮した。

馬原孝浩氏(元・福岡ソフトバンク、オリックス)

7回裏 勝利の方程式で連敗ストップへ!! 馬原が威力抜群のストレートで3者凡退!! 2014/5/5 Bs-M

通算成績:385試合 23勝31敗47ホールド182セーブ 480.2回 455奪三振 防御率2.83

 2003年ドラフトの目玉の一人として自由枠で福岡ダイエー(現・福岡ソフトバンク)入りを果たした馬原投手は、即戦力として1年目から先発ローテーションに加わるような活躍が期待されていた。しかし、プロ1年目の2004年は先発8試合、リリーフ3試合で防御率6.30と振るわず。翌2005年も開幕から先発として6試合に登板したものの、2勝4敗、防御率4.75と結果を残せなかった。

 なかなかプロの打者に適応できずに伸び悩んでいたが、前年の新人王を獲得した三瀬幸司氏が調子を崩したこともあって6月からリリーフに回ると、大学時代から高く評価されていた才能が大きく開花。リリーフとしては36試合で4勝2敗2ホールド22セーブ、防御率1.58と抜群の安定感を発揮し、すぐさま首脳陣の信頼を掴んでクローザーに定着。翌年以降もホークスの守護神として活躍を続け、長年にわたって不動の地位を築いていく。

 2006年には51試合で29セーブ、防御率1.65と前年同様の快投を見せ、2007年には54試合で38セーブ、防御率1.47で最多セーブのタイトルを獲得。リリーフ転向後の7年間で180セーブを記録し、粘り強い投球でチームに多くの白星をもたらした。2012年に大ケガでシーズンを棒に振ってからは故障との戦いが続いたが、2014年にオリックスでセットアッパーとして復活。55試合で32ホールドを記録し、優勝目前まで迫る快進撃を見せたチームを支えた。