球団消滅から15年。最後の選手会長・礒部公一氏が振り返る自らの「近鉄人生」と、後世に伝えたいこと

2019-12-06 18:00 「パ・リーグ インサイト」望月遼太
現在は野球解説者として活躍している礒部公一氏

現在は野球解説者として活躍している礒部公一氏

近鉄バファローズが消滅してから、15年の月日が流れた

 今から15年前、ひとつの球団が55年の歴史に幕を下ろした。大阪近鉄バファローズ。「いてまえ打線」と呼ばれた強力な打撃陣を擁し、豪快な野球で多くのファンに愛されたチームだ。その球団史における最後の選手会長となったのが、1997年から2004年まで近鉄に在籍し、勝負強い打撃を武器に主力として活躍した礒部公一氏だ。

 2019年11月26日に、礒部氏の全面協力のもとで『近鉄魂とはなんだったのか?最後の選手会長・礒部公一と探る(著・元永知宏氏)』と題した書籍が発売された。本書は、梨田昌孝氏、ラルフ・ブライアント氏、岩隈久志投手をはじめとした多くの近鉄バファローズ関係者への取材に基づき、その球団史と人々の想いを伝える内容となっている。

 近鉄の球団史においても重要な役割を担った存在である礒部氏にとって、今回の書籍取材はどのようなものだったのか。球団消滅から15年が過ぎた今、自身の「近鉄人生」と、全ての野球ファンに伝えたいことについて、礒部氏に話を聞いた。

球団の熱意を感じた、ドラフト直後の入団交渉

 礒部氏は西条農高、三菱重工広島で捕手として活躍し、1996年のドラフトではプロ入りが有力視される存在となっていた。当時、礒部氏が最初にスカウトから指名の挨拶を受けたのは、近鉄ではなく、オリックスだったという。

「その年の2位が谷(佳知)さんで、3位が僕の予定だったらしいのですが、谷さんとは仲が良かったですし、一緒にやれればいいなという感じで、『オリックスに行きます』と伝えていました」

 しかし、同年のドラフトでは、オリックスよりもウェーバー順が上だった近鉄から3位指名を受ける。先述の理由でオリックス入りを志望していた礒部氏だったが、「ケガをしたらプロに入れるかどうかもわからなくなる状況ですから、気持ちの中では、指名されたところに行こうと思っていました」という。そんな中で、ドラフト直後に佐々木恭介監督(当時)が広島までヘリコプターを飛ばし、礒部氏に対して入団を直々に説得した。

「最初から(近鉄に)行こうとは思っていましたが、次の日にヘリコプターですぐ来てくれて、ありがたかったですね。前の年に(福留)孝介に断られた後でしたし、どうしても入団させなきゃ、という感じだったのかなと。それだけ必要としていただいているんだな、という気持ちは、十分に伝わりました」

コンバートを経て優勝に貢献し、“近鉄最後の選手会長”に

 当時の近鉄の捕手陣は守備型の選手が多かったこともあり、礒部氏は“打てる捕手”としての期待を受けてチームに加わった。その打力を活かすため、入団当初は捕手と外野手を兼任し、時には試合途中に外野から捕手に回ってマスクを被るという、現在のプロ野球では考えられないような役割をこなしていた。

 立場上、捕手のミーティングにも常に参加し続ける必要があり、「外野で守っている方が全然楽でした。キャッチャーは重要で、大変なポジションですから」と当時を振り返ったが、「社会人の時からやっていて、プロに入ってからもその流れでやらせてもらって。僕はもう、それに慣れっこでしたから。僕たちにとっては試合に出ることが一番だったので、どういう形であれ試合に出られて、僕の中ではよかったなと思います」と、難しい役割にも前向きに取り組んでいたという。

 その後、2001年の開幕直前に外野手へ専念することに。この年は「6番ライトで出た開幕戦で逆転3ランを打って、外野手としてのいいスタートが切れた」という。その後、タフィー・ローズ氏と中村紀洋氏の後を打つ5番打者に定着。17本塁打、95打点、打率.320という好成績を記録してベストナインにも選出され、球団最後のリーグ優勝に大きく貢献した。

 「逆転勝利もかなり多かったし、波に乗ったチームの中で、その波に乗らせてもらったという感じの1年でした。リーグ優勝もしましたし、(無安打に終わった)日本シリーズで逆シリーズ男にもなりましたし……何かと、印象深いシーズンでしたね」

 その後、礒部氏は2003年にチームの選手会長に就任。2004年には球団合併阻止のために奔走したが、球団を存続させることはかなわず。結果的に、礒部氏は“近鉄最後の選手会長”となった。

「僕にとっても、すごく辛かったですけど……一番最後に選手会長としてそういう活動ができたことは、野球人・礒部公一をつくるうえでは、いい経験になったんじゃないかとは思います。ただ、今後、ああいうことはあってはならないと思いますし、勘弁してほしいですけどね。若い選手たちには、僕と同じような気持ちになってほしくはないですから」