【日刊スポーツ×パ・リーグインサイト Vol.7】2リーグ制初の日本シリーズはパ・リーグが制す!

2020-11-18 07:00 「パ・リーグ インサイト」吉田貴

 パ・リーグ創設70周年を記念してお送りする特別企画。日刊スポーツよりご提供いただいた紙面を参考に、全10回で当時のパ・リーグを振り返る。また、野球殿堂博物館の井上裕太学芸員より当時についての詳細な解説もいただいた。

 パシフィック・リーグの初代王者となった毎日オリオンズ。リーグ優勝が決定した試合については前回の記事をご覧いただきたいが、120試合で81勝34敗5分、勝率.704の圧倒的な強さだった。連載7回目となった今回は、いよいよ2リーグ制導入後初となる日本シリーズについての記事を見ていきたい。

日本一決定の瞬間はまさかの展開に

 詳しくは紙面を見ていただきたいが、ここでも簡単に振り返っておきたい。1950年11月22日に開幕した毎日と松竹の「日本ワールド・シリーズ」※は、3勝2敗で迎えた毎日が第6戦も勝利し、2リーグ制となって以来初となる日本一に輝いた。

 まずは日本一が決定した第6戦の内容からだ。松竹が3点のリードを握って迎えた3回裏、呉昌征選手の2点適時打、別当薫選手の適時二塁打などで一挙6安打6得点の猛攻を見せて逆転に成功。毎日が一気に試合の主導権を握ったかに見えた。

 しかし、松竹も簡単には引き下がらなかった。5回表に押し出しの四球と犠飛で2点を返すと、6回表にも小鶴誠選手の適時打でさらに1点を加える。1点差で迎えた8回表に三村勲選手の犠飛でついに同点に追いついた。その後、両チーム無得点のまま試合は7対7で延長戦に突入した。

 試合はまさかの形で結末を迎えた。11回裏、毎日が2死1、3塁としたところで、伊藤庄七選手の打球はサードゴロ。しかし、三塁手・真田重蔵選手が2塁へまさかの悪送球。これを見た三塁走者が本塁へ生還し試合終了。日本シリーズの初代王者は8対7で勝利した毎日オリオンズとなった。

※当初はアメリカのワールドシリーズにならって「日本ワールド・シリーズ」という呼称が使われていた。

毎日は初戦に42歳の若林投手を起用する

 続いて、シリーズ全体について見ていきたい。毎日の相手は松竹で、この年は98勝35敗6分、勝率.737はセ・リーグ歴代最高勝率。日本一決定戦に相応しい、強豪同士の一騎打ちとなった。井上さんも、当時の資料などを見る限り、両チームの実力はほぼ拮抗していたのではないかと指摘する。

「シリーズが始まる前は、勝負の分岐点は投手力で出るのではないかという書かれ方がされていました。毎日は荒巻淳投手、松竹は真田重蔵投手ですね。でも全体的に見ればむしろ松竹の方が有利じゃないかとも言われてました」

 荒巻投手は、社会人野球を経た25歳のルーキーながら、シーズンでは26勝8敗、防御率2.06の圧倒的な成績でリーグ優勝に大きく貢献したものの、日本シリーズでは2試合で10失点(自責点9)と振るわず。一方の真田投手もシーズンでは39勝12敗、防御率3.05と異次元の成績を残しながらも、2試合で9失点と力を出せず。両チームのエースが不調の中で、勝負を分けたのは毎日の優れた投手運用だった。その鍵となったのは毎日の野村武史投手と若林忠志投手の2人だ。ちなみに、若林投手は兼任監督であったが、実質的な采配は湯浅禎夫総監督が行っていた。

「1戦目が若林投手が先発をして、2戦目では野村投手が先発。まずそこで毎日が2連勝している。そこの湯浅総監督の采配が光ったというように当時の記事には書かれています。第1戦で先発した若林投手は、シーズンでは14試合に登板して4勝3敗なので、そこまで突出した成績を残してはいなかった。けれども、日本シリーズの第1戦で先発に持ってきたっていうのが一つの采配かと思います。荒巻さんは日本シリーズでは勝てませんでしたが、若林・野村・荒巻の3本柱を上手く使いこなせたというのが勝因の一つではないでしょうか」

 第1戦に先発した若林投手は42歳の大ベテランであったにもかかわらず、延長12回を1人で投げ切り、161球2失点で「日本シリーズ初勝利」を挙げる。野村投手は第2戦で完封勝利を挙げると、勝敗を五分の2勝2敗とされた第5戦にも先発して完投勝利。さらに、第6戦でも6回途中から登板して勝利投手になっている。日本シリーズの4勝のうち3勝を挙げる大活躍だった。シーズン中でも18勝4敗で最高勝率のタイトルも獲得している。紙面上でも、シリーズ6試合で12本の安打を放った別当選手とともに「打の別当、投の野村 優勝の最大殊勲者」としてその活躍が大きく取り上げられていることがわかる。

敗れた松竹の背後にも投手運用の存在

 一方で、敗れた松竹は第1戦に先発した、社会人を経由し29歳で松竹入りしたルーキー、大島信雄投手が、第1戦で若林投手と延長12回まで投げ合ったものの、153球3失点で惜しくも敗戦投手に。大島投手はさらに第4戦、第5戦、第6戦の3連投だった。先発完投が基本とされていた時代とはいえ、疲労の蓄積は少なくなかったはずだ。紙面上では「落球、万事休す」と書かれているが、この背景にも苦しい選手運用の影響があった。

「松竹は大島投手を酷使しすぎたというのが敗因として上がっていますね。真田投手も最後の第6戦では、選手のアクシデントがあって、途中で野手としてサードを守るんですけれども、運悪く、そのサード方向に飛んできた打球を悪送球してしまい、そのエラーが原因で最後のサヨナラにつながってしまった」

 試合が行われたのは寒さが本格化してくる11月末。しかも、紙面上で「雨は晴れたとはいえ曇天に冷風、やや軟弱なグラウンド・コンディション」と書かれているように、かなり厳しい試合環境であったと予想できる。ここに連戦の疲れも重なり、思わぬ形での幕切れを呼んだと言えよう。

今年の日本シリーズの開催は70年前と同じ11月後半

 今季は新型コロナウイルスの影響もあり、70年前と同じ120試合の開催となった。同じく、SMBC日本シリーズ2020の開催予定も第1戦が11月21日、第7戦まで行われた場合には11月29日まで試合がある。毎年ドラマを生んでいる日本シリーズだが、2020年の行方にはより一層注目したいところだ。第8回では、パシフィック・リーグ初年度のベストナインについて取り上げる予定だ。


紙面提供:日刊スポーツ
取材協力:野球殿堂博物館
参考文献:報知新聞社「プロ野球二十五年」(1961年)

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