千葉ロッテ美馬が明かすFA宣言の真実 突き動かした愛息への想い「あのまま仙台にいたら…」

2021-01-17 07:15 「Full-Count」佐藤直子
千葉ロッテ・美馬学※写真提供:Full-Count(写真:荒川祐史)

千葉ロッテ・美馬学※写真提供:Full-Count(写真:荒川祐史)

父となり、初めて迎えた2020年シーズン「当たり前のように両手で野球をしていたけど…」

 2020年シーズンは、千葉ロッテ美馬学にとって忘れがたい1年となった。プロ10年目。野球を始めてから20年以上が経ち、野球との向き合い方が変化。当たり前のように野球ができる幸せを、改めて噛みしめることになった。

 新型コロナウイルスが世界的に感染拡大し、NPBは開幕延期を決断。無観客試合としてシーズンが始まったのは、当初の予定より約3か月遅れの6月19日だった。例年ならば遠征で家を空ける4月、5月を、自主トレーニングでコンディションを整えながら自宅で過ごした。

「毎日、朝起きて、子どもと遊んで、昼過ぎから練習に行って、という生活をしていました。僕の中ではメチャメチャ充実した日々で、いい気持ちの切り替えになりました」

 オフに9年を過ごした楽天から千葉ロッテにFA移籍した右腕は、新天地でのキャンプ中、人知れず「野球人生最大の壁」にぶち当たっていた。投球フォームを探る迷路にはまり込み、思うようなボールが投げられず。さらには、右脇腹を痛めて、内定してた開幕投手も白紙状態に。そんな最中に訪れたステイホーム期間。「バグっていた」という美馬の頭と心をクリアにしてくれたのは、愛妻アンナさんと2019年10月に生まれた愛息だった。

「好きな野球の練習ができて、楽しい家族と一緒に過ごせる。僕にとっては大切な充電期間になりました」

 2019年10月11日。元気な産声を上げて生まれてきた我が子には、右手首から先がなかった。都内近郊での出産に運良く立ち会えた美馬は「最初は手を握っているだけだと思っていたんです」と、その日の様子を振り返る。

「出産予定日が10月16日だったので、僕は一度仙台に帰る予定だったんです。そしたら、僕が帰る前の日に陣痛が来て。タイミングが良かったんですよ。いざ、生まれてきたら、よくよく見ると右手がない。多分、僕が最初に気付いたんだと思います。すぐに妻が息子を見て『手がない』って言ったら、そこからみんな大慌て。脈を測る機械や肺の機能を調べる機械がうまく作動しなくてドタバタするし、看護師さんの手も震えているし。でも、僕は意外と冷静だったんです。子どもは元気に泣いているから大丈夫だろう。それより気が動転しているであろう妻の方が大丈夫かなって。その時は落ち着いていましたけど、病室に帰ってきたら大号泣でしたね」

「ウチに生まれてきたからこそ、この子にできることがあるんじゃないの?」

 出産前のエコー検査では、右手が左手に隠れる姿勢になっていて、誰も手首から先がないことに気付かなかった。五体満足で生まれてくると思っていた我が子を巡る予想外の展開に、アンナさんは悩み、落ち込み、絶望すら感じたという。そんな妻に美馬は言った。

「『あれもできない。これもできない』って、すごくネガティブなことしか言わなかったんです。でも、そうは言っても、今からどうしようもできないことじゃないですか。だから聞いたんです。『じゃ、手がないって分かっていたら生まなかったの?』って。それは違う。僕はとにかく、最初からホントにかわいくてかわいくて(笑)。『違う家だったら分からないけど、ウチに生まれてきたからこそ、この子にできることがあるんじゃないの? ウチだったから良かったんじゃない?』って話をしました」

 同じ頃、産院の院長がメジャーで活躍した伝説の隻腕、ジム・アボットの本をプレゼントしてくれた。「『書店に置いてなかったから必死で探したよ』って本をくれたんです。いろいろな人が前向きになる要素を持ってきてくれた。そのおかげで今があるんじゃないかと思います」。2人で先天性欠損症や障害者野球について調べ始めると、それまで全く知り得なかった世界があったという。

「みんな普通に野球をやってるんですよ。しかも、自分より上手いくらいの選手もいたりして、本当にすごい。息子がきっかけをくれなかったら、全く気付かなかったと思います。僕はプロとして野球をしているけど、プロの世界には障害を持った選手はいない。当たり前のように両手で野球をしていたけど、実は当たり前のことじゃないんだって感じましたね。それまでは当たり前過ぎて、全く何も考えてなかったです。ただ野球をやって、勝った、負けた、嬉しい、悔しい、くらいな感じ。両手を使って当たり前に野球をできるってすごい幸せなんだなって感じるようになりましたね」

 息子の誕生をきっかけに新たな視点と価値観を持つようになった夫妻は、スポーツを通じて障害者と健常者の壁がない社会になるよう、自分たちにできる活動を始めることにした。こうした気付きを与えてくれた息子には、感謝の気持ちでいっぱいだという。

「多分、2人だけでいたら、こんな気付きはなかったと思います。いろいろなところに目を向けながら野球をやっていった方がいいよって言われている気がしましたね。さらに、目を向けるだけじゃなくて、行動することもできるようになってきた。息子をきっかけに、不思議といろいろなことが繋がり始めた気がするんですよね」

予定外のFA宣言から1年余り「あらゆることを経験した1年」

 当初はFA権を行使せず楽天に残留するつもりだったが、アンナさんの家族から育児サポートが受けやすい関東圏の千葉ロッテに移籍。FA宣言から交渉、契約、引っ越し、キャンプイン、開幕、2桁勝利、CS進出……。「激動っていうか、あらゆることを経験した1年って感じですね」とホッと息をつきながらも、大きな笑顔を浮かべる。

「あのタイミングで生まれていなかったらFA移籍していなかった。あのまま仙台にいて、両親のサポートなしに子育てをしていたら、妻が育児ノイローゼになっていた可能性もあるなって思うんです。本当に近くに両親がいてくれて助かっているんですよ。僕の母は息子が生まれる2年前に亡くなっているんですけど、陣痛が始まった10月10日は僕の両親の結婚記念日だったり、繋ごうと思えばいろいろ繋がる(笑)。ただ、なんだろ?って思うくらい、息子の誕生をきっかけにいろいろなことが動き出した感じがしますね。人を集める力や人を喜ばせる力を持っている。そんな気がします」

 息子を「大事な宝物」と話し、「ホントかわいくて。何なんですかね。自分の子どもって、なんでこんなにかわいいんですかね」と幸せそうに目尻を下げる。もちろん、かわいいだけでは終わらない現実もある。これから先、息子は様々な苦労や悩みに直面することになるだろう。その時に向けて、父としての覚悟も決めている。

「いろいろあると思います。でも、先ばかり考えてネガティブになってもしんどいので、その都度、一緒に向き合ってあげたいなと。先のことは今、何も対処できないですから。もしかしたら想像以上に何でもできちゃうかもしれないし、できなかったことだけ手助けできればいい。その準備だけはしておこうと思います。

 野球に限らず、やりたいことはやらせてあげたいんですよね。そのために僕は一生懸命稼ぎます。人よりお金はかかるだろうし、大変なこともあると思うので。思うようなピッチングができなかった日も、家に帰れば妻と息子の笑顔でリフレッシュできる。去年2桁勝てたのは、そのおかげかもしれませんね」

 夫妻を新たな方向に導いてくれた大事な宝物。その存在と笑顔を守るためにも、父は真摯に野球と向き合う。