【日刊スポーツ×パ・リーグインサイト Vol.9】これが「パ・リーグ初代ベストナイン!70年前の投打の成績を振り返る

2021-02-17 18:00 「パ・リーグ インサイト」吉田貴
(C)PLM

(C)PLM

 パ・リーグ創設70周年を記念してお送りする特別企画。日刊スポーツよりご提供いただいた紙面を参考に、全10回で当時のパ・リーグを振り返る。また、野球殿堂博物館の井上裕太学芸員より当時についての詳細な解説もいただいた。

 第8回では、70年前の「パ・リーグ初代タイトルホルダー」を取り上げた。第9回目となった今回は、前回に引き続き、パ・リーグ初年度の「ベストナイン」について当時に日刊スポーツの紙面を参考に振り返っていく。

 まずは、ベストナインを獲得した選手について紙面上の記述を手掛かりにどのような選手だったのかを紐解いていきたい。非常に詳細な記述がなされており、今では歴史上の人物となった存在でも、その選手像が見えてくるはずだ。

(C)日刊スポーツ

(C)日刊スポーツ

「火の球投手」の荒巻淳投手はシンカーを身に付けて速球派から本格派

荒巻淳投手(毎日) 48試合26勝8敗 274.2回 150奪三振、防御率2.06

 日本一に輝いた毎日のエースとして活躍した「火の球投手」で、この年は最多勝と最優秀防御率の二冠を獲得。凄まじい成績であることは一目瞭然であるが、この数字をルーキーで記録したのは驚きだ。アマチュア時代から直球が武器の投手だったようだが、紙面ではシュートとシンカーを習得したことも飛躍につながったことも指摘されている。

 シンカーと言えば、今季は楽天・涌井秀章投手が小山伸一郎コーチからシンカーを伝授されたことで復活を果たしたことも記憶に新しい。紙面上には「今季のピッチングだけで最高のものと断ずるのは危険であろう」という記述があるように、ルーキーだったこともあり今後の活躍がまだまだ未知数という見方があった。荒巻投手は期待に応え、通算173勝を記録する大投手に成長することとなる。井上さんは荒巻投手の実力はもちろんのことながら、毎日の強力打線についても注目する。

「(リーグ再編で)チームがたくさんできたので、新人王の資格がある選手はたくさんいました。その中でも荒巻さんは社会人で元々実績のあるピッチャー。それに加えて毎日の打線が良かったこともあって、勝利をたくさん稼げたというのはあると思いますね」

 確かに、1950年の毎日はチーム打率(.286)、本塁打数(124)、得点(713)といずれもリーグ1位の成績を残している。強力打線のバックアップと、荒巻投手自身のすばらしい投球の歯車が噛み合ってこその好成績であると言えるだろう。

通常は投手は1人ながらも紙面上にはさらに2人の投手の名前が

 通常、投手は1人だけの受賞となっているが、紙面上ではさらに2人の投手についても取り上げられている。1人目が、毎日・野村武史投手だ。シーズン18勝4敗で最高勝率のタイトルを獲得しただけでなく、第8回の記事でも触れたように日本シリーズで3勝を挙げるなど大車輪の活躍を見せた。「二球とつづけて同じポイントに同じ球速のボールを投げることは絶対にしない(紙面より)」ほどのカーブとシュートの制球力、そして素晴らしいマウンド度胸を兼ね備えていたようだ。

 3人目に挙げられた南海・ 柚木進投手は紙面上でこそ「力、技とともにいま一息のところ」とされているものの、シーズン19勝10敗の好成績。1948年から1954年まで7年連続で2桁勝利を達成している。9年間で123勝64敗を記録し、南海の黄金時代をけん引した大エースだ。ちなみに、柚木投手は背負った背番号は「21」。南海の後身である福岡ソフトバンクでは、同じサウスポーの和田毅投手が背負っている。

走塁・打撃・守備のそれぞれに長所を持った選手がそろう内野手

捕手:土井垣武(毎日) 112試合 15本塁打 72打点 打率.322

 1リーグ制時代の1947年から1949年にかけても捕手でベストナインを受賞しており、阪神から毎日に移籍した1950年で4年連続の受賞となっている。「攻守において日本一の捕手」とあるが、特筆すべきはその打力。打率.322はリーグ5位の好成績であり、当時でも捕手として頭ひとつ抜けた存在だったようだ。直近では、2019年に埼玉西武・森友哉選手が首位打者を獲得したが、1950年の毎日、2019年の埼玉西武の双方がリーグ優勝を果たしている。今も昔も「打てる捕手」はシーズンのチーム成績までも左右する存在であることがよく分かる。

一塁手:飯田徳治(南海) 120試合 23本塁打 97打点 打率.327

 全120試合に出場し、リーグ3位となる打率.327を記録。シーズン前半は故障もあって不調だったが、中盤以降は復調して安打を重ねたようだ。比較対象として1リーグ制の時代の一塁手のベストナインを独占していた巨人・川上哲治選手が挙げられている。飯田選手は、川上選手のような「筋骨質」ではなく、「一塁手として理想的な上背と柔軟な体格の持ち主(紙面より)」だったようだ。井上さんが飯田選手について次のように説明を加えてくれた。

 「飯田さんはこの後1948年から58年までにかけて、1246試合の連続出場記録を作っています。この記録は、衣笠(祥雄)さんに抜かれる(1980年)までは1位の記録。そういう意味でも「元祖・鉄人」という人ですね。そして、足がものすごく速かった。この年で23本塁打30盗塁、52年から57年までは6年連続で40盗塁をしています。ファーストで足が速いというのは今の感性からすると意外性がありますね」

二塁手:本堂保次(毎日) 120試合 12本塁打 84打点 打率.306

 1リーグ制時代には「猛牛」の異名で知られた名手の巨人・千葉茂選手に迫る実力だったが、不安定な移籍が繰り返されことで成績面でもやや苦しんでいたようだ。しかし、パ・リーグの誕生によって移籍した毎日で復活を果たした。持ち味の守備では熟練された堅実なプレーを見せ、「強靭な腰のバネ(紙面より)」を生かして打撃でも活躍した。打率、打点、本塁打のいずれにおいても自己最高の成績を残して、二塁手としてパ・リーグ初代のベストナインを獲得した。打ってよし、守ってよしという意味では、ややタイプは異なるが楽天・浅村栄斗選手のような存在感を発揮していたはずだ。

三塁手:中谷順次(阪急) 115試合 21本塁打 98打点 打率.299

 前年に124試合で打率.320を記録して一気に中心打者となると、翌年も自己最多の21本塁打、98打点を記録し、三塁手としてパ・リーグ初代のベストナインを獲得した。この時点で年齢はすでに30歳を超えており、紙面でも「コツコツ成し遂げた土台の上に立つ完成だけに得難いプレイヤーの1人」と表現されている。他のベストナイン受賞者の多くが上位チームに所属しているが、阪急は7チーム中6位と苦しいシーズンとなった。だからこそ中谷選手の受賞は大きな意味を持っているはずだ。

遊撃手:木塚忠助(南海) 116試合 8本塁打 47打点 打率.301(78盗塁)

 当時のプロ野球記録であるシーズン78盗塁を記録し、まさに「韋駄天」という形容詞の元祖のような存在だったようだ。驚異的な肩の強さも評価されており、広い守備範囲と送球の強さを要求される遊撃手は、まさに適材適所のポジションであったと言えるだろう。プロ通算479盗塁は歴代4位の成績だ。

「つまり彼は打撃の天才なのだ」とまで称された選手とは……?

外野手:別当薫(毎日) 120試合 43本塁打 105打点 打率.335(34盗塁)

 紙面上で「特級の別当」「パ随一の外野手にとどまらず、日本を代表するスラッガー」と最大級の評価をされているのもうなずける成績だ。シーズンとプレーオフの双方で変わらぬ打棒を発揮し、毎日のパ・リーグ制覇と日本一に大きく貢献した。本塁打王と打点王の二冠を獲得しただけでなく34盗塁も記録し、セ・リーグの岩本義行選手(松竹)と共にプロ野球史上初のトリプルスリーも達成。ベストナインだけでなく、最優秀選手も獲得している。現代で言えば、福岡ソフトバンク・柳田悠岐選手のような存在だろう。「外柔内剛、物に動じない(紙面より)」スタイルであったようだ。

外野手:大下弘(東急) 106試合 13本塁打 72打点 打率.339

 打率.339でパ・リーグ初代の首位打者を獲得。第8回の連載でも取り上げたように、「赤バットの川上哲治(巨人)、青バットの大下」という言葉が今でも残るほどの大打者だ。紙面上では以下のように独特な比喩を使って表現されている。

「ただ人が唖然としているうちにホームラン王となった(1946、47年)ように、今季も三割三分九厘と人知らぬ間に好打率を残して首位打者となったところに大下の大下らしさがある。つまり彼は打撃の天才なのだ」

 美しいアーチを描く長打力がある一方で、「打撃の天才」と称され、首位打者を獲得するほどの技術を持っているとなれば、現代ではオリックス・吉田正尚選手とその姿が重なるのではないだろうか。大下選手と吉田選手はともに左打者で、身長も同じ173cmである。70年前と現代では身長の尺度は異なるが、こうした点でも共通点がある。

外野手:飯島滋弥(大映) 111試合 27本塁打 77打点 打率.322

 別当選手、大下選手と2人のビッグネームの存在感が目立ってしまうが、飯島選手も両者に引けを取らない好成績だろう。紙面上ではあまり大きく取り上げられていないものの、1952年には大下選手を抑えて首位打者を獲得している。

当時はパ・リーグの選手で「ハワイ遠征」も

 記事の左部分では、パ・リーグのハワイ遠征メンバーが発表されている。現在ではパ・リーグとセ・リーグの双方から選手が選抜されて国際試合に臨む形であるが、この海外遠征ではパ・リーグの選手のみが選ばれていた。井上さんはこの交流試合について以下のように解説している。

「この時は優勝した毎日の選手が主体で行くことになるんですけれども、毎日オリオンズの若林忠志選手兼任監督が、選抜チームの監督としてチームを率いました。現地のチームと試合をしたのですが、帰ってくるまでに時間がかかっててしまい、翌年のシーズンが開幕してから帰ってきた。なので開幕当初はこのメンバー、主力抜きでやっていましたね。

 先ほど話した飯田徳治さんも参加しています。連続試合出場記録中でしたが、これは怪我とかではないので、公休扱いとなり、連続試合記録は継続しているということになりましたね。雨の日には現地でバスケットをしている写真などもありました。(記事中では若林さんは「ボゾー」とニックネームで書かれている)そうですね。監督の若林さんはハワイ出身の方なので、20年ぶりに兄弟と再会できたといったこともありました」

2020年ベストナイン発表を受けて

 2020年はMVPに柳田悠岐選手、新人王に平良海馬投手が選出された。1950年は31票で満票であったが、その70年後には300票前後の投票が行われている。このことからも、野球というスポーツの浸透、そしてテレビの放映をはじめとする報じるメディアの拡大がうかがえる。

 パ・リーグ70周年を記念した特別企画も次回でいよいよ最終回。第10回では、当時のパ・リーグについてさらにフォーカス。選手だけでなく、当時の観客動員や当時のパ・リーグの取り組みなどの視点からお送りする予定だ。

文・吉田貴

バックナンバー