あっという間の49年。千葉ロッテ・池田寮長の退団日

2016-12-21 00:00 「パ・リーグ インサイト」マリーンズ球団広報 梶原紀章

4月30日の夜。部屋は熱気で充満していた。ロッテ浦和寮の寮長の部屋には次から次へと人が集まっていた。翌5月1日は池田重喜 寮長兼打撃投手の70歳の誕生日。お祝いにと寮生たちが次々とドアをノックした。故郷の地酒をプレゼントする選手もいれば、誕生日ケーキを持ち込んだ選手もいた。みんなで、古希を迎える寮長の前祝いを行った。

「こうやってみんなに祝ってもらえて、ありがたいなあ、嬉しいなあ」

お酒の強い男が珍しく酔っ払っているようだった。感謝の言葉を述べ、寮生たちに、これまで何度も披露している自身の昔話を語り出した。

産まれたのは戦後翌年の46年。11人兄弟の末っ子だった。大分県の津久見高校で2年夏に甲子園出場を果たした。67年にドラフト4位で大洋に入団。71年にロッテに移籍し、77年まで投手として現役でプレー。通算成績は155試合に登板をして13勝12敗。ただ、その現役生活は濃密なものだった。

当時・阪神で同じ年の田淵幸一氏にプロ1号を打たれた話。あの江夏豊氏からピッチャーながらサヨナラ打を打った武勇伝(68年6月14日、東京)。伝説のON砲と対戦したエピソード(王氏に8打数1安打1奪三振、長嶋氏には16打数4安打1本塁打1奪三振)。「あんな大打者と対戦できたのだからね。今思うと長嶋さんにホームランを打たれて良かった。王さんに打たれていないのが残念だなあ」と茶目っ気たっぷりな表情を見せると場は笑いに包まれた。

ロッテが米アリゾナでキャンプを行った際の練習試合では後にヤンキースで563本塁打を放つレジー・ジャクソン(当時アスレチックス)から4打席4奪三振を奪った。この話題に今度は感嘆の声が挙がった。その後はコーチや裏方としてロッテを支え、00年に寮長に就任した。コーチ時代も、寮長になってからも練習では若手選手に投げ続け抜群のコントロールを披露した。ならばと12年より二軍打撃投手を兼務。そして70歳を迎えてなお打撃投手の仕事を全うした。

「プロ入りして49年。ロッテに入って44年。こんなに長い事、野球に携わらせていただけるとは思っていなかった。現役を終えた後もトレーニングコーチ、育成コーチ、チームスタッフ、そして寮長を17年間やらせてもらった。本当に幸せな日々だったよ」

そんな寮長も今年11月30日を持って退団をすることになった。11月23日。ファン感謝デー参加のため選手たちが寮からマリンに向けて出発する前に、寮の駐車場に全員集合をかけた。この日が事実上、寮生全員が寮に集合をしている最終日。いつもみんなで朝の体操を行った想い出の詰まる場所に全員を集め、今年限りで仕事を離れる事になったことを伝えた。そして最後の訓示が始まった。それはこの17年間、変わらずに寮生たちに言い続けてきたこと。最後の日もいつもとまったく同じだった。

「毎日言ってきたことだけど、くだらないことで評価を下げて、損をするなよ。人に好かれる必要はない。でも嫌われるなよ。そのためには、まずは挨拶。そして約束の時間を守る事。とにかく人として当たり前の事を当たり前にやること。人間、まずはそこからだからな。朝食はしっかりととる。部屋の整理整頓をする。部屋を出る時は電気を消す。そういう当たり前の事の積み重ねが人生では大事だからな」

息子、いや孫のように愛情を持って接した寮生一人一人の目を見ながら、最後にもう一度、人としてのあるべき生き方を伝えた。情の人だった。生活態度が乱れがちな選手を見ると、あえて大声を出して怒る事はしなかった。自分たちで気が付いて欲しかった。だから、その選手の部屋に直筆のメッセージを添えた紙を貼った。「勝負の世界は厳しいヨ。寮長」。達筆な字で書かれた短い言葉に部屋に戻ってきた選手は何度となくハッとさせられ、自分の行動を思い直した。それは40年以上もプロ野球界で生きてきた人間だからこその含蓄溢れる言葉だった。

最後もまた多くの人が集まった。12月6日、栃木のゴルフ場で送別会を兼ねたゴルフコンペが催された。台湾ウィンターリーグに参加しているメンバーなどを除く12名の寮生が参加。70歳に達するまでの長きにわたってプロ野球の仕事に携わり、自分たちにとって父親のような存在だった寮長をみんなで慰労した。晴れ渡る空の下、前半に2つのバーディーをとるなど92のスコアでまわった。プレーをしながら、ずっと寮生たちと思い出話をしては盛り上がった。

「もちろん、色々な事があったよ。人生、ならせば平らになるというけど、辛かったことの方が多かったように思う。でもこれまでを振り返るとあっという間。本当にあっという間。ということはやっぱり、幸せだったんだよ。それだけ充実した毎日を過ごしたということだよ」

それから数日後。プロ野球経験者が学生を指導するための学生野球資格回復制度のプロ側研修会の会場に池田氏の姿があった。アマチュア選手を指導する資格を手に入れるため、講習会を受けた。「老後がとても楽しみ。これからは若い子たちに教える活動もしてみたいんだ」。新たな一歩に夢あふれる表情を見せた。思えば、現役引退した後、近所の少年に「プロ野球選手だったんでしょ!キャッチボールをして」とせがまれた。そして最近、散歩をしているとまた近所の子供に「キャッチボールをして欲しい」と頼まれた。よく話を聞くと昔、キャッチボールをしてあげた子供が大人になり、そして結婚して生まれた子供だという。

「ずいぶん長い時間が過ぎたんだなあ」。池田氏は思わずその場で立ち止まり、感慨深い表情でしばし、長い旅路を振り返った。いろいろな出会いがあった。充実した幸せな日々だった。そして、そばにはいつも大好きな野球があった。マリーンズのユニホームは脱いだ。ただ、情熱はまだまだ尽きない。