熊本へ届け。千葉ロッテ・香月良投手の強い思い

2016-04-22 00:00 「パ・リーグ インサイト」マリーンズ球団広報 梶原紀章

眠れない日々が続いている。布団に入り、電気を消すといろいろな思い出が蘇る。支えてくれた人、一緒に野球をした仲間が苦しんでいる顔が一人、二人と思い浮かぶ。千尋夫人の実家があり、出会ったのも熊本だ。千葉ロッテマリーンズの香月良仁投手は第二の故郷・熊本への想いは強い。

「大学を卒業後、熊本に行ったから、僕はプロ野球選手になることができた。嫁と出会うことができた。熊本は僕にとって大事な場所。どんなに感謝をしても、しきれない地です。本当に多くの人に支えられた。その人たちが苦しんでいると思うと、辛くて、悲しくて…」

福岡ソフトバンク戦が雨天中止となった4月21日の練習後のことだった。球場周辺で行った熊本地震支援の募金活動に参加した香月良は、その場にいたマスコミに訴えた。伝えたい想いがあった。熊本の現状、そして今後。そして古巣である熊本ゴールデンラークスのことを想い、カメラの前で熱く話をした。

福岡の第一経済大学を卒業後、社会人野球チーム・熊本ゴールデンラークスで野球を続けるべく、「鮮ど市場」に入社した。ただ、最初から決めていた道ではなかった。大学卒業を前に福岡の社会人チームのセレクションを受けた。テストでは抜群のピッチングを見せる。三振に次ぐ三振。手ごたえがあった。しかし合格通知が来ることはなかった。後日、すでに合格者は決まっており、形式上の一般向けのテストだったことを知った。悔しさと挫折感に包まれた。野球を続ける道はないと思い、ユニホームを脱ぐ覚悟を決めた。そんな時に創部したばかりで部員を集めていた熊本のチームが声を掛けてくれた。たまたま、大学の別のチームメートを見に来ていた同チームの関係者が目を掛け、誘ってくれた。終わったと思っていた野球を続けられる可能性が蘇った。心から感謝をして、即答で入団の返事をした。

母体はスーパー。だから大学を卒業すると、正社員としてスーパーに出勤しながら、夕方から野球をする。そんな日々を始めた。配属されたのは熊本県内の菊陽店。朝7時に仕事場に入る。お惣菜担当として、コロッケやカラアゲを揚げ始める。長い時で8時間。大体、午後3時ぐらいまでその仕事をこなした。

「ハードなスケジュールだったかもしれませんが、それが日常で充実した日々でした。コロッケも普通に揚げていた。コツも覚えましたし。安売りセールの日なんて、600個以上、売れる。どんどん揚げないと間に合わないんです」

同じ店舗には3人の野球部員が配属されていた。お惣菜担当して、エプロンを付け、コロッケやカラアゲを元気よく揚げた。野球部員には勤務中に特別、ユニホームに模した背番号とネーム入りの専用コスチュームが用意されていたこともあり、お店の常連のお客さんなどに応援される存在となっていた。それは地元である熊本県民に愛される存在になって欲しいという企業理念からチーム名に企業名を入れていない事からも分かる。地元の人たちから応援され、愛されるチームだった。

「地元の人に本当に支えられた。常連のお客さんから『明日、試合見に行くよ』と声を掛けてもらった。お昼は大体、近所のおばあちゃんが『野球、頑張りなよ』って、お弁当を作ってくれるんです。お世話になって励ましてくれたその人たちが今、どうなっているのかと思うだけで胸が痛む。本当に苦しいです」

熊本で多くの人に支えられて今がある。そしてアピールする舞台をもらえたという感謝の思いがある。2年目の都市対抗予選敗者復活戦で強豪のJR九州戦にて先発。1対0で完封勝利すると、次の日産自動車九州戦ではリリーフ登板し、見事、都市対抗出場を決める原動力となった。日本選手権も初出場に導く活躍をし、3年目にはエースとして都市対抗に出場した。強豪チームを抑える姿は徐々にプロのスカウトの目にも留まるようになった。そしてマリーンズに指名された。

プロ入りして8年。昨年はセットアッパーとして安定感ある投球で、一軍40試合に登板し、結果を出し続けた。それは、これまで携わったいろいろな人の想いを胸に、与えられたこのチャンスを逃すまいと必死に、ガムシャラにボールを投じた結果だった。今も昔も熊本への想いと感謝を忘れたことは一度もない。

「少ないチャンスをなんとかものにしようと思うようになったのは熊本で野球をやってから。今の自分の原点。あの日々がなければ今はありません」

そんな熊本が、そして古巣が苦しんでいる。当時のチームメート、そして熊本ゴールデンラークスの監督に電話で現状を聞くと、頭が真っ白になった。市内にある本店は窓が壊れ、中はグチャグチャになったと聞かされた。もちろん、チームの活動再開の目途は立っていない。JABA岡山大会出場中だったが、棄権。目標としている都市対抗も辞退の可能性が高い。部員たちはそれぞれの店舗で、危険防止用の緊急の措置として野球のヘルメットをかぶりながら復旧作業に追われている。

「みんな苦しんでいる。野球どころではないのが実情だし、会社も厳しい状況。仕事がなくなるかもしれない。そんな中でボクになにができるのか。それは支援をすること、野球で頑張ることと熊本の現状を訴え続けることだと思う。みんなこれからが大変。それを忘れないでほしい。人それぞれで支援の仕方は違うと思いますが、これからが本当に苦しいので今後も支援を続けてほしい」

香月良は涙目でカメラの前で訴え続けた。今は遠い空の下から願い、訴え続けることしかできない。そしてマウンドで熊本を想い、必死に投げ続けるだけだ。「野球を頑張ることで、もし一瞬でも辛い思いを和らげることができれば、ボクがこの仕事をやっている意味がある」。背番号「42」は強い決意と必死のメッセージを白球にこめる。何かが少しでも良くなればと思い、願う日々だ。