【高校野球企画】Youthful Days ~まだ見ぬ自分を追いかけて~ vol.2 上林誠知選手[福岡ソフトバンク]

2018-08-08 09:00 「パ・リーグ インサイト」氏原英明
福岡ソフトバンク・上林選手【イラスト:横山英史】©SoftBank HAWKS

福岡ソフトバンク・上林選手【イラスト:横山英史】©SoftBank HAWKS

第100回全国高等学校野球選手権記念大会が開幕した。今年も甲子園で高校野球の頂点を巡り、激闘が繰り広げられている。夢見た舞台へ辿り着くために、球児たちはどれだけの鍛錬、挑戦、葛藤を積み重ねているのだろうか。現役プロ野球選手の高校時代を振り返る連載第2回は、タレントそろいのチームにあってもひときわ光る才能で魅せる上林誠知選手(福岡ソフトバンク)。走攻守に躍動する姿で上昇曲線を描きながら、プロ入り前には困難が待ち受けていた。プロ入り後も度々、自責の念を言葉にするのは、理想の高さゆえ。それでも進化を続けるために、求道者のごとく信念を曲げることはない。

高校最終学年時にはまった落とし穴

甲子園は幾多のスターを生み出してきた。高校生活最後の舞台で大きく飛躍する選手は多い。しかし、甲子園は必ずしもスターを生み出すわけではない。時として、ある選手にとっては、大きな試練となって降りかかってくる舞台でもあるのだ。

福岡ソフトバンクのレギュラーに定着した上林誠知選手は、甲子園での苦い思い出を発奮材料にしてきた。「思い出したくないですね。特に3年生になってからの1年は苦しいことばかりでした」。

上林選手が世間に名を知られるようになったのは、仙台育英高校2年夏の甲子園からだ。2年生ながら4番を務め、打率.455をマーク。卓越したバットコントロールで広角に長打を量産し、足で魅せる守備、そして、肩と3拍子が揃った中堅手として注目を浴びた。新チームになってからキャプテンを務めて東北大会、神宮大会を続けて制覇。当時は大阪桐蔭高校の森友哉選手(現埼玉西武)と並び称されていたものだった。

しかし、翌春の選抜高等学校野球大会に出場すると、そこから調子は下降線をたどる。打率は3割をマークしたものの、ワンバウンドの変化球がバットに当たる珍しい安打を放つなど、不振を極めた。

「自分の調子と周りの評価のギャップは感じました。センバツではワンバウンドの変化球にバットが当たってヒットになることがありました。自分では当たってしまったという感覚なのに、新聞などでは芸術的であると良いように書かれて…。普通に考えたら、ただのボール球ですから。僕のことを高く評価してくれるのは心の支えになるんですけど、自分で満足はしていなかったです」

不調のままにセンバツを終えた上林選手の調子がもとに戻ることはなかった。夏は宮城県大会準決勝と決勝で2試合連続本塁打をマークして、復調の兆しをみせたが、甲子園では最悪の状態だった。

上林選手にとってもっとも辛かったのは、1回戦の浦和学院高校戦だ。もともと、上林選手は埼玉県の出身だ。浦和シニア時代にはジャイアンツカップに出場するなど大活躍を見せ、埼玉県内では名の知れた逸材だったのだが、進学は地元を選ばずに、仙台育英高校と進んでいた。地元からその存在を知られながら、宮城へ渡り、甲子園でその地元と対戦する。その相手に活躍できれば格好のサクセスストーリーが完成するのだが、実際は真逆だった。上林選手は3三振を喫したのだった。

「恥ずかしかったですね。浦和学院は僕の地元・埼玉のチームだったんで、注目してもらっていた。その中で、2年生エースに3三振を食らいました。負けるわけにはいかないと試合に臨んで、この結果ですから。全国の皆さんは甲子園しか僕を見ないわけじゃないですか。そこで打てなければ『なんだ、このくそバッターは』と感じたと思うんです。それが悔しかったです」

浦和学院高校には勝利したのに、結局、上林選手は大会トータル9打数1安打のみに終わった。2年夏のデビューから甲子園を沸かせてきただけに、最後の夏は惨憺たるものだった。