【高校野球企画】Youthful Days ~まだ見ぬ自分を追いかけて~ vol.3 金子千尋投手[オリックス]

2018-08-11 09:00 谷上史朗
オリックス・バファローズ・金子千尋投手【イラスト:横山英史】©ORIX Buffaloes

オリックス・バファローズ・金子千尋投手【イラスト:横山英史】©ORIX Buffaloes

第100回全国高等学校野球選手権記念大会が開幕した。今年も甲子園で高校野球の頂点を巡り、激闘が繰り広げられている。夢見た舞台へ辿り着くために、球児たちはどれだけの鍛錬、挑戦、葛藤を積み重ねているのだろうか。現役プロ野球選手の高校時代を振り返る連載第3回は、半世紀以上の時を経て古豪を聖地に導いた金子千尋投手(現オリックス)。当代きっての変化球の使い手は、その礎を高校で築いた。プロでは最多勝、最多奪三振、最優秀防御率のタイトルを獲得し、沢村賞も受賞。投手として得られるものはほとんど得たが、立ったことのない頂点への渇望が、その右腕を振るわせる。

公立高校に進学して魔球と邂逅

金子千尋投手が長野商業高校時代、監督を務めていた山寺昭徳氏を訪ねたことがある。そこで山寺氏が真っ先に口にした2つの金子千尋投手評は、オリックスのエースとして活躍する今の姿と見事に結びつくものだった。1つは金子千尋投手が長野北シニアのエースだった中学3年時の投球を目にした時の印象だ。

「ウチの室内練習場を中学のチームに貸すことがあって、その日、たまたま金子が投げているのを見たんです。中学3年の秋の終わり頃。金子について何の知識もなかったけど窓越しに見た真っすぐがまったく落ちない。ひょろっとした体なのになんと回転の効いたボールを投げるんか、と驚いたのが最初です」

ただ、金子千尋投手はこの頃、ある私学へ興味を持っていた。また、長野商業高校は公立のため積極的な生徒勧誘もできない。しかし、春になるとその姿は、戦前に春夏甲子園出場9度、創立100周年を前に復活の機運を高めつつあった古豪のグラウンドにあった。山寺氏は改めてその素質の高さにほれこみながら、一方で高校球児らしからぬ風貌、雰囲気が強く記憶に残ったとも言った。2つ目の印象だ。

「口数は少ないし、見た目は色白で眼鏡をかけたまるで文学青年。マウンドでのボールとは結びつかない雰囲気の子でした」

日本球界を代表する投手となった今も周囲を圧倒するような雰囲気はない。この印象もまさに今の金子千尋投手に通じるものだ。高校の実戦デビューは1年秋。ここで金子千尋投手はその後の立ち位置を決める快投を見せた。県大会を2位で通過した長野商業高校は北信越大会へ出場し、翌年に創立100周年を控え選抜出場への期待が高まる中、初戦、準々決勝と勝ち上がる。勝てば選抜高等学校野球大会出場が確実となる準決勝での高岡第一高校戦。先発を任された金子千尋投手は延長12回を投げ抜き1対0で勝利し、チームに68年ぶりの甲子園をもたらす完封をやってのけたのだ。

山寺氏が絶賛し、当時3年生だったあるOBも「あの試合でこいつすごいな、と周りの金子を見る目が変わった」と振り返った。その一戦を金子千尋投手に尋ねたときには、こんな感想が返ってきた。

「あの時の僕は正直まだそこまで甲子園に強い思いがなかった。私立みたいに何が何でも甲子園というところまで気持ちがいってなかったんです。でも、だから、この試合に勝てば甲子園というプレッシャーもなく投げられた。試合で投げたいという気持ちだけで投げられたのが良かったんだと思います」

地元の大きな期待を背負って出場したセンバツ。しかし、関西入り後の練習試合で金子千尋投手はきつく打ち込まれた。この内容を受け、当時の投手コーチで金子千尋投手の高校卒業後もトヨタ自動車で指導することになる人物が、甲子園用へ向け新たな変化球を伝授。これがカットボールだった。当時の日本ではまだプロでもカットボールが認識されてなかったが、アメリカの野球にも精通していたコーチには、変化球を投げる感覚に優れた金子千尋投手に、どこかのタイミングで挑戦させたい、との思いがあった。

大会開幕の3日前から練習で投げ始め、迎えた岩国高校との初戦。6回途中からリリーフした金子千尋投手は相手打者の芯をことごとく外す投球を披露する。勝利の試合後、ある記者が「あの変化球は何ですか」と聞いてきた。しかし、コーチたちから「夏がある。聞かれたらスライダーを投げたらおかしな変化をした、と言っておけ」と言われていた金子千尋投手はそう返し、話題にはならなかった。