今から21年前。幕張の安打製造機のプロ初安打を生んだ恩師との秘話

2018-09-06 13:12 「パ・リーグ インサイト」マリーンズ球団広報 梶原紀章
プロ1993安打目を放った千葉ロッテ・福浦選手【写真提供:千葉ロッテマリーンズ】

プロ1993安打目を放った千葉ロッテ・福浦選手【写真提供:千葉ロッテマリーンズ】

幕張の安打製造機の1993安打目も中前打だった。9月5日、ZOZOマリンスタジアムでのホークス戦。1打席目は前回対戦で1992安打目となる中前打を記録した先発・松本裕の前に凡退。しかし2番手・中田との対戦で捉えた。

1球目。インコースへの140キロのストレートを見送る。胸元を突くギリギリ一杯の球も長年培った選球眼は冷静だった。ピクリともしない。2球目、146キロストレート。ぼほ同じゾーン。ただ球一つ分ストライクゾーンに入ってきた。ボールの真下を叩く。中前に飛んだ打球は3回、4回と人工芝の上で跳ね中堅・柳田のグラブに収まる。ビジョンで偉業達成まで一歩近づいたことを知らせる数字が表れるとスタンドは大きな歓声に包まれる。場内に設置された「FUKUメーター」も誇らしげに更新された。

「ストレート狙いだった。1球目がボールになったので2球目はストライクをとりにくると思って狙っていた。詰まっていたけど、ヒットになってくれてよかったよ」

一塁ベースを少しまわったところで打球の行方を確認すると、右手を少しだけ掲げ、ファンの声援に応えた。思えば初ヒットも本拠地での中前打だった。その時のことは今でも鮮明に覚えている。

21年目、プロ初安打を放った際の秘話

4年目の97年7月4日の夜。秋田遠征中の宿舎で山本功児二軍監督から「明日から一軍だ」と告げられた。急な招集に驚いた。夜も寝られないほど緊張した。いったんは布団に入ったが、ダメだった。だからバットを握った。二人部屋だったため、部屋の明かりはつけずに真っ暗の中、バットを振り続けた。打撃のポイントを確認し、深夜にようやく眠りについた。翌5日、マリンのデーゲームに間に合わせるため、早朝に身支度を行いロビーに向うと、山本二軍監督が立っていた。監督がこんなに早い時間にわざわざ見送りのため起きて待ってくれていたことに驚いた。その気持ちが身に染みた。活躍を誓い空港へ向かった。

羽田からタクシーに飛び乗り、マリンに到着したのはチームの全体練習が終わる寸前。バタバタと練習を済ませるとこの日のオリックス戦、7番一塁でスタメン出場を言い渡された。4回にブルーウェーブ先発のフレーザーのインコーススライダーに詰まった当たりはポトリとセンター前に落ちた。記念すべき一軍でのプロ初ヒットだった。2000本安打を目前に控える男の伝説はここから始まった。

あれから月日は流れた。当時、二軍監督を務めた山本氏は2016年4月23日、64歳で永眠した。初の一軍へと出発した日、宿舎ロビーで待っていた山本二軍監督に「頑張ってこいよ」と力強く肩を叩かれ、若者はタクシーに乗った。山本監督はタクシーが見えなくなるまで手を振り、見送ってくれた。初の一軍に、ほとんど寝る事もできずに出発した福浦和也内野手はあの日から時と年齢を重ね、1993本のヒットを積み重ねた。「オレの野球人生の最後まで見届けて欲しかった。寂しいよね。天国で見守って欲しい」。山本氏の死去を聞かされた時、福浦はそう言って悲しんだ。

大ベテランは42歳になった今も精力的に体を動かし、バットを数多く振る。その打撃は二軍時代に山本氏と二人三脚で特打を繰り返した時の練習が土台となっている。2000本安打まであと7安打。恩師や支えてくれた人たちのことを想い、福浦はバットを握る。偉業達成を最高の恩返しとする。